あの松尾芭蕉も、一度は見てみたいと、45歳の時に訪れた松島。
芭蕉50歳でこの世を去っています。昔の旅は大変だったのでしょう。
心労がたたったのかもしれません。
松尾芭蕉は、そのあまりの絶景に、得意の俳句を一句も詠めなかったことは、みなさんもご存知のとおりです。
超有名なエピソードです。
松島は東北地方の宮城県にあります。宮城県の中でも太平洋側に位置しています。月の名所でもあります。
この松島ですが、日本三景に指定されています。
- 宮島
- 天橋立
- そして松島
江戸時代に林春斎(はやししゅんさい)により、日本三景と呼ばれるようになりました。
そして、それを知った人達が、松島に大勢来るようになり、日本を代表する観光地となったのです。
新型コロナの影響で9月までは閑散としていましたが、松島の新しい観光スポットの松島離宮という施設も2020年10月17日にオープンし、現在は連日大賑わいの大盛況です。
松島離宮は雄島のすぐ近くにあります。
しかしながら、松島とは何ぞや?という原点に立ち返らなければ、見えてこないこともあります。
それが雄島です。
雄島は松島の原点
松島には、雄島(おしま)という小さな島があります。
観光地という位置づけの松島の中で、残念なことにあまり目立たない存在の、小さな島です。
観光スポットとして見ると、雄島はとても地味な島なのです。
残念ながら、雄島は、松島観光をする上で、その観光コースから外されがちです。
そしてこの島は、松島の歴史を語る上で、そして、松島を知る上で、絶対に外してはいけない、とても重要な島なのです。
その理由は、松島という地名の発祥の島だからです。
みなさんは何故、この地域が松島と呼ばれるようになったのか、ご存知ですか?
松島という名の仏教の聖地、そして日本三景という絶景の地。人気の観光地。
その原点となっているのが、実はこの、雄島なのです。
松島という名前はこの小さな島、雄島が由来しています。
雄島は、奥州の高野として、浄土の入口として、僧侶や巡礼者の修行の場となっていました。高野とは、高野山のことです。
雄島には、仏像や法名などが彫られた岩窟や、板碑も数多く見られます。
松尾芭蕉は、45歳の時に、奥の細道として、松島を訪れています。その時に雄島も訪れましたので、芭蕉の句碑もあります。
奥の細道は、松島に来ることを目的とした旅だった、とも言われています。
雄島の場所は、松島海岸のはずれの方にあります。
瑞巌寺を松島の中心として考えると、雄島は、そこから少し離れた場所に位置します。
今はもうありませんが、雄島の近くには、昔、松島水族館がありました。その
その松島水族館よりも、少し仙台寄りのところに、雄島があります。
目立ちませんので、ひっそりとしています。
現在、公園や駐車場の整備をしていますので、工事が終わると、観光客もだいぶ、増えるかもしれません。
この地味な島、雄島ですが、松島の名前の起源になっています。
この島で修業をしていた見仏上人というお坊さんがいました。そのお坊さんが、あまりにも優秀だということで、鳥羽天皇が松の苗木を贈りました。
なんとその苗木の数は千本。
鳥羽天皇は千本もの松の苗木を贈ったのです。
その後、この雄島は千本の松の苗木のある島ということで、千松島(ちまつしま)といわれるようになりました。
やがて、千松島の千が略されるようになり。松島といわれるようになりました。
これが松島の地名の由来です。
見仏上人は、1104年に伯耆の国(ほうきのくに)というところから松島に来ました。
伯耆の国とは現在の鳥取県です。
そして、妙覚庵(みょうかくあん)に入り12年間、この島にこもり法華経を読み修業を行ったといわれています。
松島はもともとは観光地ではありませんでした。
観光地として、全国に認識されだしたのは江戸時代のことです。
日本三景として紹介されてからのことです。
その前までは、松島は観光地ではなく、霊場でした。
仏教の修行に使われたり、お参りをするところでした。
そして霊場としての国内最大級の規模でした。
渡月橋(縁切り橋)の不思議な力
雄島に行くには赤い橋を渡らなければなりません。この橋を渡月橋(とげつきょう)といいます。
渡月橋という名称の橋は、京都の嵐山が有名ですが、雄島の橋も渡月橋と言います。
松島には赤い橋がみっつあります。
ひとつは、ここ雄島の渡月橋です。別名を縁切り橋と言います。
そして福浦島の福浦橋。出会い橋といわれています。
もうひとつは、五大堂の透かし橋。縁結び橋といわれています。
雄島は松島三朱橋のひとつがかかる、付加価値の高い島なのです。
縁切り橋でいうところの、縁とは、いわゆる男女の縁のことではありません。
悪縁や煩悩のことを指しています。
よく縁切り橋を、渡ると男女が別れると言っている人がいますが、それは間違いです。
切りたい悪縁、絶ちたい悪縁があれば、雄島の縁切り橋を渡ると悪縁や煩悩を絶つことができると言われています。
悪縁がない人は渡る必要はありません。橋を渡らないということは修行も必要ないのです。悪い縁がついてないのですから、あたりまえです。
雄島の不思議な力
不思議なことに悪縁のない人はこの橋を渡りません。何らかの理由をつけて、またはなんかの用事が発生して渡りません。
この橋が縁切り橋だということを全く知らない人に試してみるとわかります。悪縁がある人は、自然にスタスタとこの橋を渡っていきます。
ところが悪縁のない人は渡りません。何らかの理由をつけて渡らないのです。
待ってるから行って来て、とか、今度来た時にする、とか、忘れ物をした、とか、寒いから、暑いから、疲れたから、というようなことを言って渡ろうとしません。
それは悪縁がないからです。つまり、橋を渡る必要のない人ということになるのです。切る縁がない人なのです。
会いたくない人に、偶然会う時があります。
そもそも縁があるからこそ、その人とであったのです。しかし、その人をよく知るようになってから、想像していた人と違うな、ということもあります。
それが悪縁です。
会いたくない人に偶然会うことが多い時は、悪縁があるということですので、断ち切りましょう。
百人一首の歌枕の地
松島は古くから有名な場所でした。その理由のひとつはその景色にあります。この世のものとは思えない不思議な風景が広がる場所。
そして月が綺麗に見える場所、月の名所でもあります。
松島湾は波がとてもおだやかです。満月の夜には、月が水面に浮かび、それはそれは綺麗な風景を楽しむことができます。
このことは昔の人も同じです。松島を歌枕の地として有名です。
当然、百人一首でも詠まれています。
その松島の原点となる場所、松島の由来になっている場所が雄島です。
瑞巌寺のようにメジャーな観光スポットではありませんが、本来の松島の霊場としての雰囲気が残されている場所ですので、松島観光の際には、ついでに寄ってみることをおすすめします。
場所は松島離宮のすぐ近くにあります。瑞巌寺から歩いて10分ぐらい、離宮から歩いて5分ぐらいです。