天麟院|御朱印、五郎八姫(いろはひめ)

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天麟院は、伊達五郎八(だていろは)の菩提寺です。五郎八が眠るお寺です。天麟院とは五郎八の院号で出家後の名前です。

伊達五郎八(だていろは)は、伊達政宗と正室の愛姫(めごひめ)の娘で、長女です。

松島には、陽徳院、円通院、天麟院というお寺があります。

この三院は松島三霊廟といわれていて、いずれも伊達家ゆかりの霊廟となっています。

霊廟とは御霊屋のことです。お墓の上に造った建物のことです。

ちなみに瑞巌寺には霊廟はありません。

天麟院は伊達五郎八、陽徳院は愛姫、円通院には伊達光宗の霊廟があります。

天麟院は円通院の左隣にあります。瑞巌寺と反対側にあります。

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伊達五郎八(だていろは)

五郎八姫(いろはひめ)は、1954年に京都で生まれました。

五郎八(いろは)はお姫様ですので、女性です。

しかし名前を見ると、どう考えても男子の名前になっています。

五郎八(ごろはち)。

伊達政宗は、男子が生まれることを期待して、五郎八という男の名前だけを準備していました。

嫡男誕生への強い祈念、ということだったのでしょう。

絶対に男が生まれる。その思いから男子の名前のみを準備していたのです。

この時代は、正室の男子が貴重でした。それは後継ぎになるからです。

このことは、伊達政宗に限らず、どの武将も同じでした。嫡男がほしいという思いは、皆の共通だったのです。

しかし結果は、政宗の期待を裏切り、生まれてきたのは、かわいい女の子でした。

政宗はガッカリしながらも、男子の名前しか考えてなかったことを思い出し、慌てて、五郎八という名前を、ごろはちではなく、いろは、というかわいらしい、読み方に変え、漢字はそのままに名付けたのです。

期待はずれではない

男子と女子では男子が重要でした。では、娘が生まれてガッカリしたのかといえば、そうではありません。

伊達政宗は喜んでいますし、その後も、五郎八姫いろはひめを大切にしています。

政略結婚だとしても、五郎八姫がいたからこそ、徳川と親戚になれたのですから。

仙台城でのエピソード

仙台城跡で上映されている有料の3D映像には、政宗と五郎八姫いろはひめの感動のエピソードが紹介されています。

五郎八姫は、徳川家康の六男の徳川忠輝と結婚しました。徳川忠輝は川中島城主です。

政宗は、五郎八姫が徳川忠輝に嫁ぐ何日か前に仙台に呼びました。

五郎八姫は、徳川忠輝と5歳の時に婚約し、12歳で結婚しました。

婚約結婚は、徳川家康からの要望です。いわゆる政略結婚です。

家康にとって伊達政宗は、怖い存在でした。

それがゆえ、政宗と親戚関係を築いておきたかったのです。

親戚関係になっておけば、政宗は謀反をおこすこともなく、徳川に反旗を翻す策略をすることもないだろう、という考えです。

いろはひめを仙台城に呼んだ政宗。そして、その日の夜になり、政宗と五郎八姫は仙台城にあったとされる、懸造(かけづくり)から城下を見下ろします。

仙台城にあった懸造は、崖の高さが約60メートルもあります。かなりの高さです。仙台城下はもちろんのこと、遠く太平洋も見える建物でした。

懸造から見た真っ暗な仙台城下。すると真っ暗なその城下に、ポツポツと灯りがつきだします。ロウソクや焚き火の灯りです。

いろは姫は驚きました。今までに見たこともない演出です。

派手好きの政宗、人が思いもよらぬことを思いつくのが得意な性格です。

政宗は事前に仙台城下の人々に伝えておいたのです。五郎八姫への婚礼の祝福のための演出だったのです。

父親政宗と、娘いろは姫の感動的なエピソードです。

キリシタン

五郎八姫はキリシタンだったと言われています。大河ドラマでは沢口靖子が演じていて、キリシタンを強調した演出になっていましたが、実際はどうなのか不明です。

ちなみに大河ドラマでは、徳川忠輝を演じたのは、真田広之でした。忠輝の性格をそのまま表現したようです。徳川忠輝はドラマと同じような性格だったようで、父親の家康からよく思われていませんでした。姑である伊達政宗も大変だったことでしょう。

徳川幕府は、キリシタン禁止例を出していました。当然、伊達家ではキリシタンは禁止だったはずです。

つまりキリシタンでいるには隠れキリシタンとして信仰していたことになります。

いろはひめは、出家して尼さんになっています。つまり仏教です。隠れキリシタンだったのかどうかは、不明です。

いろは姫の宝物

いろは姫が大切にしていたとされる、宝物のような遺品があります。

その中に、幻のお香、柴舟がありました。

この柴舟というお香は、伊達政宗が好んで使っていた珍しいお香です。

その香りを再現したお香は、仙台でおみやげものとして、販売されていますが、本物の柴舟は希少です。

いろはひめの遺品は、松島の瑞巌寺の青龍殿という宝物館で保管、公開されています。

柴舟は、ほんのかけらほどの大きさです。いろは姫は、そのかけらを布でくるんで、大切にしていたそうです。

いろは姫がなくなってから偶然発見されました。

天麟院は、いろは姫の菩提寺です。松島に訪れた際には、お参りにしましょう。

御朱印

天麟院では、御朱印も書いてもらえます。瑞巌寺だけでなく、天麟院の御朱印も、書いてもらってください。いろは姫も喜ぶと思います。