瑞鳳殿はこんなところです

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仙台の観光スポットとして大人気の瑞鳳殿。距離的に仙台城跡と、さほど離れていませんので、仙台城跡とセットで見学する人も多いのではないでしょうか。

それと、どちらも、レトロなデザインで人気の観光循環バス、るーぷる仙台のコースにもなっていますので、仙台の地理に詳しくない人でも、道に迷わずに仙台観光をすることができます。

ちなみにるーぷる仙台は、市営バスです。遊園地のバスのようなデザインです。

さて、そもそも瑞鳳殿とは何なのか?仙台に、はじめて来た人や、瑞鳳殿という名称を全く知らなかったという人もいることでしょう。

殿という文字から、何かの建物だということまでは想像がつくと思います。

瑞鳳殿とは、伊達政宗のお墓の上に建てられた建物のことをいいます。この建物のことを霊廟(れいびょう)といいます。

またの名を御霊屋(おたまや)ともいいます。この霊廟(れいびょう)の下には、仙台を築いた偉大なお殿様の、伊達政宗のお骨が埋葬されています。

お墓の上に建っている建物が瑞鳳殿です。瑞鳳殿の下の地区の住所は、御霊屋下(おたまやした)といいます。瑞鳳殿近くの広瀬川にかかる橋を御霊屋橋(おたまやばし)といいます。これは全て瑞鳳殿に由来しています。

瑞鳳殿の入り口
瑞鳳殿の入り口

伊達政宗のお骨は、現在も瑞鳳殿の下に埋葬されています。

発掘調査も済んでいます。お骨を掘り出し、調査のために瑞鳳殿は御霊屋の名前です。御霊屋とは霊廟のことです。

政宗は、ホトトギスの初鳴きを聴くために、ココ、経ヶ峯に登りました。

ホトトギスの鳴き声はご存知でしょうか?都会では聞くことはできないと思います。ホトトギスと鳴きます。

本当にそのように聞こえます。とても特徴のある鳴きかたをする鳥です。

政宗は、同行した家臣に、死後はこの地に墓を作ってくれと言いました。

その後政宗は1636年5月24日江戸で70歳で亡くなりました。

政宗の遺体はすぐに仙台に運ばれました。そして遺言どおり、経ヶ峯に葬られました。

瑞鳳殿は、政宗の息子、忠宗により、1637年10月に完成しました。

木造三間四方の建物は漆極彩色によって仕上げられた、桃山文化の威風を伝える豪華絢爛な霊廟で蟇股には瑞鳥、欄間には飛天、花頭窓には鳳凰、隅柱に獅子頭など躍動感溢れる彫刻が施されました。

霊屋内部には須弥壇が設けられ政宗の尊像が安置されています。

壁や天井には仏画や鳳凰などが描かれていました。

瑞鳳殿は1931年昭和6年に国宝に指定されましたが、昭和20年1945年の戦災により消失しました。

昭和54年1979年に再建されました。本殿の扉は普段は閉ざされており、政宗の命日5月24日、新年の拝礼式など特別な場合に御開帳されます。

伊達政宗の御霊屋、瑞鳳殿。この霊廟の下には政宗のお骨が今も静かに眠っています。

瑞鳳殿
瑞鳳殿
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唐門(からもん)

天井に金箔を貼り付けたことから、金唐門といわれました。正面の虹梁(こうりょう)の上下の空間には竜虎図と二十四孝説話を題材にした透かし彫りが挿入されるなど装飾性に富んでいました。現在は銅板製の近代的なものになっています。

殉死者供養塔

主君が亡くなった時に家臣がその跡を追って自ら死ぬことを殉死といい江戸時代初期までその風習がありました。

主君伊達政宗の死に際して家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名の計20名が殉死しました。こうした殉死者を供養するため、瑞鳳殿の両脇には宝篋印塔という形式の石塔が建てられました。

殉死者の墓は各家の菩提寺等にあり瑞鳳殿両脇に遺骨はなく石塔は供養のためのものと考えられます。現在の石塔は昭和54年1979年の瑞鳳殿再建の際に作り直されたものです。

亡くなった伊達政宗の後を追って、自ら命を落とした伊達家臣の供養塔です。

殉死者供養塔
殉死者供養塔

御供所-竹楼(ちくろう)

資料館がある場所には、竹桜(ちくろう)という名前の建物がありました。この竹桜という建物は、御供所として使われていました。御供所とはお供え物を準備する建物で参拝の際に控所にもなっていた場所です。瑞鳳殿の御供所は伊達政宗が晩年に住んでいた若林城の一部を移築したものです。現在の資料館は戦災で消失した御供所の面影を残すように、竹桜に似せて造られています。

臥龍梅

地面に伏臥(ふくが)する姿から臥龍梅(がりゅうばい)と呼ばれていました。

文禄の役で渡朝した伊達政宗が、半島から持ち帰り仙台城に植えさせた後、隠居所として使っていた若林城に、移植したものです。若林城の臥龍梅は国の天然記念物に指定されています。

この臥龍梅(がりゅうばい)は、古城の臥龍梅から取木されたもので、昭和54年1979年瑞鳳殿再建を記念して植樹されました。

伊達家経ヶ峯墓所

経ヶ峯には伊達政宗の霊屋瑞鳳殿、伊達忠宗の霊屋感仙殿、伊達綱宗の霊屋善応殿と、9代目の伊達周宗、11代目の伊達斎義、伊達斎義同の妻の墓所妙雲界廟、5代目の伊達吉村以下の光子公女の墓所御子様御廟があります。藩政時代からの伊達家の霊域です。昭和6年1931年瑞鳳殿、感仙殿は桃山様式の代表的な廟建築として国宝に指定されましたが、昭和20年の戦災により善応殿とともに消失しました。三霊廟の再建事業は昭和49年に着工し昭和60年に完成しました。現在経ヶ峯は仙台市の指定史跡となっています。

公子公女の墓所御子様御廟

公子公女の墓所、御子様御廟(おこさまごびょう)は1713年以降に設けられた墓所です。

五代藩主吉村以降、六代宗村、七代重村、十一代斉義、十三代嘉邦の歴代仙台藩主の若くして死去した公子公女が埋葬されています。

御子様御廟
御子様御廟

21基の笠塔婆かさとうばの墓と、奉納された80基を超える石灯籠があります。また、藩主側室や老女の墓7基も置かれています。

広瀬川をはさんで対岸西側に仙台城があり、幼い者の廟を城から見守ることができる場所に造営されたと思われます。

戦災や震災により灯籠など部分的に欠如していたものを1984年から1985年に全域の修復整備を行いました。

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